THE JULIETS それぞれの出会い②
こんばんは。カガヤマです。
今日はLONELY↑Dに加入するきっかけ、加入してからを書きます。
LONELY↑Dのメンバーから連絡があったのは、出会った翌日だったことを覚えています。
『明後日の名古屋のライブ、サポートしてもらえないか』
一度観ただけの何も知らないバンド、しかも2マンで聴いたことも無い10曲を明後日に。
かなりの無茶振り。
断るのが普通かもしれませんが、僕は、『やってみます』と回答します。
無職で時間があったことは事実ですが、何故そう答えたのかは、今でも良く分かりません。
ただ、なんとなくやってみても良いかなという直感めいたものはありました。
その日徹夜で10曲覚えて翌日のリハーサル、
そして名古屋へ。
決して完璧とは言えない演奏でしたが、終演後、メンバーから、正式メンバーとして加入してほしいとのオファーを受けました。
出会って数日のまさかの展開に、戸惑いもしましたが、どこのバンドにも属していない僕は、なんだか分からないけどとりあえずやってみようかと思い、オファーを受けることにしました。
同時に、近所のスーパー銭湯でのアルバイトを始めました。
2008年11月のことでした。
LONELY↑Dに加入直後の2009年1月、
後に所属することになるプロダクションの社長が偶然にもライブハウスに訪れていました。
楽屋で挨拶をし、後日、一緒にやらないかと所属のオファーを受けることになります。
バンドに加入して僅か2ヶ月。
あまりの流れの早さに戸惑いつつ、少しずつ人生が変わっていくのを感じていました。
そして、2009年10月、バンドは活動の場を東京に移し、上京することになります。
上京後は、ライブはもちろん、雑誌の取材や連日のラジオやテレビの番組の出演と、経験したことのない事の連続でした。
一番の思い出は、日本武道館と大阪城ホールのステージに立ったことです。
人の人生はこうして変わっていくのかと感じながら、忙しい日々を過ごしていました。
そんな中、メジャーデビューのためのレコード会社が決まり、デビューに向けた動きが本格的に始まります。
しかしながら、バンドの不仲な人間関係やしがらみなど、バンドを取り巻く状況は決して良いものではありませんでした。
正直に言えば、かなり悪い状況だったと思います。
そんな状況下でしたが、デビューが決まって走り出している状況だったので、耐えながらそれに向けて走る日々を過ごしました。
2010年の七夕の日、LONELY↑Dはメジャーデビューを果たします。
音楽でご飯を食べる夢が叶いつつある上京でしたが、自分はそれを心から喜ぶことができませんでした。
そして、翌月8月にバンドと事務室との話し合いで、自分の脱退が決まります。
メンバーも、自分とはやりたくないという意向だったので、実質解雇のようなものです。
せっかくメジャーデビューしたバンドをデビュー直後に辞めることになるのですが、不思議と後悔は無く、これからの人生に目を向けられることになります。
せっかく出てきた東京で、心新たに何かやってやろうという一心で、ベースに打ち込みました。
そんな折、堀田と自分と同じ大学の軽音楽部の仲間であるシンガーソングライターが上京してくることになります。
僕は、彼を手伝おうと思い、彼の後ろでベースを弾くことになります。
初めはドラマーがいなかったので、打ち込みでドラムを流して一生にライブ活動をすることになります。
そのうち、やっぱり本物のドラムの方が良いよねという話になります。
僕は、ドラマーを探すことにし、神戸時代からの友人で東京に移り住んでいた同じベーシストの友達に、『誰かドラマーいない?』
と尋ねました。
そうすると、彼は、
『うちのバンドのドラマー使ってくれていいですよ』
と快くありがたい言葉をかけてくれます。
そうして紹介されて出会ったのが、岩井大輔でした。
今日はここまで。
また改めて。
読んでくれてありがとう。
加賀山 匡